「同い年のカブ|C70と私の再生記録」第一話:朽ち果てた”同い年”をガレージに迎えて

「同い年のカブ|C70と私の再生記録」第一話:朽ち果てた"同い年"をガレージに迎えて C70
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こんにちは、fukumomo3_Photo(@fukumomo6_com)です。

長年勤めた運送業界を離れ、個人事業主と主夫をスタートさせた冬の終わり。

ガレージに並ぶ古いバイクたちを眺めながら、ふと気づいた。

「同い年のバイク、うちにはないよな?」

バイクの誕生年を改めて調べる。

最古は1965年生まれのラビットS310、次に1972年のミニトレ。

しかし、1969年のバイクはなかった。

自分と同じ1969年に生まれたバイクと今を共に生きる…

そんな考えが浮かぶと、もうどうにも止まらない。

「同い年のカブ|C70と私の再生記録」

HONDA-カブ-C70-行燈

第一話:朽ち果てた”同い年”をガレージに迎えて

 長年勤めた運送業界と別れを告げ個人事業主と主夫をスタートさせた冬が終わるころ、ガレージと作業小屋に並べられた古いバイク達を眺めながら「同い年のバイクないよな?」と疑問が浮かぶ。皆の誕生年は大体わかっているのだが、少し調べてみた。一番古いバイクは、富士重工製のラビットS310だが、その年式が気になり調べると1965年生まれで、次に古いバイクは、1972年のYAMAHAのGT50ミニトレだった。しかし、1965年〜1972年の間1966年〜1971年の間の1969年が抜けている。ちなみに、私の生まれ年は1969年だ。個人事業主と主夫を始めたことがきっかけではないが、なんとなく「同い年のバイク」が気になり出す。気になり出すと気になるので、調べ続けること数週間、二台の候補があがる。それは、HONDA CB750F0URとYAMAHA XS1-650だった。しかし、CB750は、個人事業主を開業して主夫で会計を預かる身としては「OKサイン」は出せない価格だが、私の中の個人事業主は「これから稼ぐから買っちゃえば?」と言ってくれた。しかしまた、主夫の私の「とんでもない!今一番大変な時です!」の言葉から一瞬で却下される。二台目の候補のXS650は、主夫の意見も少しだけ寛容になり「出せないこともないけど・・・置く場所あるの?」と資金問題よりも切実な場所問題を上げてきた。この主夫の戦術は巧妙だった。個人事業主の私が「大丈夫!なんとかする!」といった曖昧な子供の言い訳のような返答しかできなないとわかっていたのだろう、個人事業主の私の敗北と終わり次の同い年のバイクを探す旅に出た。

 オークションサイトで、「1969 バイク」と検索する。出るには出るが、いまいち「ビビビィ」っとこない。そこである想いが浮かんだ。「死んだ母のカブってあれ何年式や?」すると、懐かしい記憶とともに、わりと鮮明な映像とともにカブ90が浮かぶ。それは、母がなれないバイクの後ろに小さな私を乗せ、緊張しながらギアを入れた瞬間、車庫から道路を一気に突っ切り前の山に突っ込んだ記憶映像だ。昭和の車通りの少ない田舎道なのでなんてこともない笑い話の記憶であるが、今の道路事情であれば危険だったと思う。しかし、私の中に残る大切な母との映像記憶なので、これを使わせてもらうこととした。

 ネットでカブの歴史を探る。すると1969年にC50行灯カブが発売され、その年ボアアップされたC70があることを知った。母が小さな子供を後ろに乗せ道路を突っ切り山に突っ込んだバイクはC90なので残念ながら1968年生まれで私より一つ年上となる。記憶映像の中のC90がかなり鮮明でインパクトがあるので一瞬C90でいいかとも思ったが、やはり「同い年」のバイクと暮らし、今現在同い年のバイクがどのような状態で生きているかを知りたかった。

 「同い年」のバイクの車種は決まった。「HONDA スーパーカブ C70」である。しかし、C70も歴史がある。そこで、C70の中でも1969年生まれの「行灯カブ」を探すこととなった。探す場所は、いつものネットオークションである。「カブ 70 行灯 車体」と検索すると数件ヒットした。全ての車両は予算内で落札できそうだが、いまいち「ビビビィ」っとくるバイクがない。別のオークションで再度検索してみると、さらに数件出てくるが、「ビ」ともこない車両ばかりで、「同い年」のカブへの情熱が消えそうである。そりゃそうだ、もともと私は、カブのことが特別好きでも嫌いでもなく、ただ記憶映像の中のバイクがカブ90であり、たまたまその翌年販売されたカブ70が1969年式だったということだけだからだ。そう、探している理由は、「同い年」これだけである。

 なかなか見つからないので、「行灯カブ」これだけで検索する。すると、みるからに農作業で使われ爺さんが農道をトコトコ走ってお役御免となったであろう行灯カブがヒットした。説明の文章からはバイクへの愛情のかけらも感じなかったが、なぜか「私が助けるのはこいつだ!」と思えた。思えたので即メールで確認後、落札ボタンをタップする。いつも通り直感である第一システムに従うスタイルは変わらない。別にカブに乗りたくて「同い年」を選んだわけではないので、それほど待ち遠しくもなかったが、思いの外早く兵庫から新潟に到着していた。その日は、仕事で遅かったので確認は翌日の朝になった。朝いつも通りコーヒーを飲み日記を書きいつも通りの動きをしていてふと「同い年」を思いだした。忘れていたのだ。ゆっくりとガレージの前に止めてある「同い年」を見る。昨夜は暗かったのでわからなかったが、オークションの画像通りの「やれ感」を通り越した、きったない「同い年」がそこにあった。

 タイヤはホイールから外れ、シートは朽ち果て、シールドは無く、キックを軽く踏むと、とても軽くするりとおりた。第一印象は、「同い年やれ過ぎだろう」だった。実際のところ私自身も側から見れば「やれてるね」と言われると思うので、あまり「同い年」の悪口を言うのはやめておくと決めた。「同い年」が我が家のガレージに来て数日がたった。いや数日ではない。数年である。やはり、「同い年」に興味があっただけでカブに興味があった訳ではないので、私の視界から消えていたのだ。しかし、あるとき時間を作らなくとも時間ができた。それは、XLR250BAJAを改造していた時の部品が海外から届くまでの2週間だ。やると決めたら早い。XLRを作業小屋からバイク小屋へ移動して、「同い年」を作業小屋へ連れてきた。

 じっと眺める。最初見た時よりも見慣れたのか、「やれ感」を通り越した、きったない「同い年」は、ちょっと良いやれ感に変わっている。人の感情などその時で変わるのだなと思う。ちょっと「同い年」に興味が湧いてきたので、かなり前に調達しておいたマニュアルとリストを見ながら分解をはじめた。分解していて一番最初に感じたことは、「同い年」が大切にされていたことだった。サイドカバーを開けると丁寧に収納された車載工具があり、そのなかから丁寧に折りたたまれたウエスが発見される。ハンドルを開け中を見ると丁寧に整備された後があり、グリスは固着していたが充填はされている。ある時バイク屋が新しいバイクを勧めた。爺さんはいい人なので「わかった新しいのをこうたる!」と酒を飲みながらバイク屋に伝える。しかし、気になった爺さんは、丁寧に折りたたまれたウエスでオイルのにじみを拭きながら「お前さんには長いこと世話になったが、今日までだよ・・」と言われたのが最後だと「同い年」が語った。

 「同い年」の気持ちが伝わったので、とても迷ったが「良いやれ感」をやめ、ガレージカラーであるミントシャーベットとマッドホワイトで全塗装することに決定。シートはあらかじめ買ってあるリトルカブの「かわいいシート」である。しかし「かわいいシート」を「同い年」の上に乗せてイメージしたが、流石にきたなすぎるのでイメージがわかない。とりあえず分解して清掃が第一と考え作業を進める。ホイールからタイヤは外さなくても外れていたので簡単だ。ホイールも全塗装するのでブラストに入れ軽く赤錆を落とした。ブレーキワイヤー関係は少し注油して動きをよくしてから保管する。エンジンは、後の楽しみとして汚いまま保存し、キャブレターは気になったので、クリーナーに漬け込みきれいにした。バラバラになった「同い年」は赤錆が発生していたが、年齢的には当たり前の程度だ。中性洗剤を使い金属タワシとサンダーを使い赤錆を除去した後、黒錆びに転換する塗料を全体に塗る。作業小屋にぶら下がる真っ黒になった「同い年」を眺めながら「かわいくしてやるから覚悟しとけ」と話しかけた。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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