「単気筒の衝動|XLR250BAJAと私の物語」第二話:BAJACOと迎えた試練の嵐

「単気筒の衝動|XLR250BAJAと私の物語」第二話:BAJACOと迎えた試練の嵐 BAJA
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こんにちは、fukumomo3_Photo(@fukumomo6_com)です。

名古屋の朝、BAJACOに荷物を積み込みながら、私はこれから始まる長距離ツーリングに心を踊らせていた。

しかし、ツーリングの道は決して穏やかではなかった。

走り始めてすぐ、天候は急変し、雨と風が容赦なくBAJACOと私を叩きつける。

豊田飯山の登り坂では、強風と荷物の重さでスピードが落ち、ギアを蹴り落とすたびにエンジンの鼓動が心を奮い立たせる。

それでも旅は続く。BAJACOとの時間は、どんな天候でも、どんな道でも、私にとってかけがえのないものだった。

「単気筒の衝動|XLR250BAJAと私の物語」

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第二話:BAJACOと迎えた試練の嵐

 私が初めてバイクの免許を取得したのは1984年ごろ。そのころの私といえば走ることがとにかく楽しく時間があれば走っていた。2年後車の免許を取得する。しかしバイクは乗り続ける。のちに結婚離婚などの人生の荒波をこえるときも常にバイクがいた。荒波は当時の相棒XLR250Rとこえた記憶がある。このバイクには世話になった。河原を走り川を渡ろうと進入したとたん蟻地獄に落ちたようにバイクが川の中にあっというまに沈んだことがあった。あわててバイクを川から引きずり出す。当然エンジンは水を吸い込んで止まっている。途方に暮れながら外せる部品を全て外し少しでも水が抜けないかとXLR250Rを眺めながら待つ。1時間ぐらい昼寝をしただろうか?プラグをつけてキックを踏むこと数回XLR250Rは何もなかったように息を吹き返したのだ。この時から私はHONDAエンジンの信者になった。ちなみにXLR250Rは、数年後マンションの駐車場から誰かに連れ去られた。そしていまだ連絡はない。

 XLR250Rと姉妹バイクのBAJACOを遠い鹿児島から連れてきたことには理由がある。それはXLR250Rにもう一度乗りたいといった理由の他に、バイクでフェリーに乗って島を旅をする夢があったからだ。

名古屋を2013年4月7日朝7:00に出発。すべての荷物を積むとBAJACOのリヤサスペンションが私の体重と強引に積んだ荷物で沈みサイドスタンドを立ててもほぼ垂直な感じになる。これにより意識してサイドスタンド側を道路の傾いている側にするが、慎重に降りないと倒れそうだ。

 BAJACOはバッテリーレスなのだがコンデンサーがついている。これによりコンデンサーの代わりに小さなバッテリーに付け替えると省電力のナビゲーションぐらいなら表示させることができる。地元のスタンドで燃料を満タンにして名古屋を発った。ナビゲーションと同時にETCも装着したので、行きは高速道路を使用した。恵那あたりから雨が降ったり止んだり気温も下がってきたのでバイク用レインウエアを着る。しかし足元は長靴だ。BAJACOに重たい荷物を積載するとサイドスタンドを立ててもバイクが垂直になる。しかたがないので乗ったまま給油してもらう。

 恵那から妙高まではカメラをぶら下げて走ることができないぐらいの雨と風が吹いている。豊田飯山の長いのぼり坂を燃料を持たせるためトップギヤでのぼる。しかし荷物が重いのと風が強いため60キロぐらいまでスピードが落ちる。あまりに遅いと危険だ、燃料のことを忘れギヤをひとつ蹴り落とす。なんとかのぼりきり最後のトンネルを抜けると、ご褒美の青空がBAJACOと私を待っていた。

 新潟は上越に着くと台風並みの風が吹いている。これは風といったレベルではない暴風といっていいだろう。急遽ホテルを検索して探す。平日の悪天候だからすぐにみつかった。ホテルに到着して荷物を降ろし少し目をはなすと「ガシャン」暴風でBAJACOが倒れた。出発の数日前に取り替えた赤色のグリップエンドが「ぐにゃり」と曲がる。チェックインすると先ほどの様子を見ていたのだろう、ホテルマンが心配そうに私を見た。「みてたのね」とちょっとだけ照れながら部屋に入り荷物を確認していると急にBJACOが心配になる。窓を覗くが見えないので確認しにいくと彼女は大人しく待っていた。ほっとした私は、彼女のタンクを数回叩いた。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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