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夜の名残を踏みしめながら、エンジンを温める。
雨粒の跡がまだ路面に息づき、朝の光がそれを拾っていた。
世界が動き出す音に混じって、BAJACOの鼓動が静かに返ってくる。
「単気筒の衝動|XLR250BAJAと私の物語」

第八話:反時計回り、湧水の一杯
雨上がりの音がまだ路面に残っていて、タイヤの下で細かくさざめく。薄い雲の切れ間から斜めの光が伸び、アルミのハンドルに白い筋を置く。グローブの内側は昨夜の湿りを少し拾い、指の腹がひやりと目を覚ます。四月十日、二日目の朝だ。松ヶ崎から、反時計回りに行こうと決めて、アイドルスクリューを気持ち緩める。アイドリングの鼓動を数えてから、深く息を吐く。
とても狭い、すれ違いのできないようなトンネル。壁のしみが濡れて、ヘッドライトの輪がゆっくり呼吸する。対向は滅多に来ないはずだが、来たら困るので、きっちり左へ寄せる。三速のまま、指二本でブレーキ。ミラーの端で肩が小さく揺れ、出口の白さが一段明るくなると、排気の音が背中の後ろに置いていかれる。
桜はまだ蕾。枝先の丸い気配だけが春を先取りし、空気は常識的に冷たい。シールドを少しだけ上げ、息を混ぜる。路肩の砂がところどころに集まっている。島の速度に合わせて、スロットルをほんのわずか緩める。
湧水。古い風呂桶に貯めてあるのを見ると、決まりのように止まる。サイドスタンドを左に落とし、グローブを外し、掌で一杯。縁の鉄の匂いと、透明な冷たさ。喉の奥で「つめた」と声にならない音が折れ、胃のあたりまで静かに落ちていく。BAJACOが少しだけ身じろぎした気がして、タンクを一度、軽く叩く。
島価格のガソリンを少し足す。BAJACOのお腹は正直だ。スタンドのおっちゃんがノズルを支えながら、「どこから」「どこまで」「まだ寒いね」と言う。私は頷きと短い返事で間をつくり、風向きと潮の匂いをひとつずつ胸にしまう。レシートを受け取る指に、軽い油の気配が移る。何気ない会話は、地図にない道標みたいに背中を楽にする。
荷は昨夜より少し軽い。工具袋は左、雨具は入口側、貴重品は内ポケット。順番はいつも通り。エンジンの熱が膝に集まり、路面の水はもう細い線だけになった。島の輪郭をなぞるように、私と彼女の呼吸がゆっくり揃っていく。
トンネルの響きは遠ざかり、波の音が、また少し遠のいた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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