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海を渡る風は、まだ冬の匂いを残していた。
エンジンの鼓動が、どこか遠くの波と重なる。
旅の二日目、空はすでに色を失いはじめている。
静けさの奥で、何かが降りてくる気配がした。
「単気筒の衝動|XLR250BAJAと私の物語」

第十五話:鉛の空、雹の合図
海の音が平たく伸び、空は鉛色に沈んでいた。右手に波頭、左手に黒い岩肌。風は層を作って寄せ、ミラーの端だけが白く光る。四月十日、二日目。私は海岸沿いの道に身を預け、呼吸の浅さをシールドの内側で一度整える。
「降るな」とは言わない。ただ、来る気配を待つ。
最初に当たったのはメーターの上。硬い粒が「カチ」と一度だけ跳ね、次の瞬間、ヘルメットにもカメラにも細かい打撃が散った。BB弾くらいの雹が、路面と私を一斉に叩く。はしゃいだ指先で空を見た途端、胸の奥で小さな警報が鳴る——ナビも、カメラも、防水じゃない。
右ポケットのビニールを引き出す。片手で口を開き、レンズごと押し込む。ナビは電源を切ってからもうひと袋。雨具は入口側、工具袋は左、貴重品は内ポケット——順番は崩さない。スタンドは立てず、身体だけを風下に入れて息を落ち着かせる。
雹は数分でやんだ。あとに残ったのは、冷たい風と雨。港の表示を頼りに、低い屋根の並ぶ漁港へ逃がしてもらう。コンクリートの地面が薄く濡れ、網の匂いが空気の底に沈む。私は顎紐を少し緩め、BAJACOのタンクを一度だけ軽く叩く。彼女が「ここでいい」と促した気がして、肩の力が半歩だけ抜ける。
海は荒れはじめ、白いものがあちこちで砕ける。遠い灯台の白が、持ち場を守るみたいにまっすぐ立っている。あそこを回って小木に戻れば、一周の輪がつながる。春と冬が同じ画面に重なるような午後、私は濡れたグローブを握り直し、エンジンヘッドに手の甲をそっと当てる。金属の温度が皮膚の奥へ細く届き、指の節の冷たさがほどけていく。
出発の前に、もう一度だけ点検する。レインの袖はベルクロを指一本ぶん余らせて留め、ズボンの裾はブーツの外へ。工具袋は左、貴重品は内側、雨具は入口側。順番はいつも通り。私はうなずき、震える右足でキックを踏む。排気の音が戻る。
波の砕ける音が半歩だけ下がり、港の気配が、静かに遠のいていく。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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