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看板の縁がかすかに鳴り、曇りの白が靴のゴムだけを照らす。
折り目のついたパンフが指に乾いた音を置き、風は言葉を運ばない。
新館の影に、作りものの嘴が静かに光る。
名を呼ばない距離のまま、呼吸だけをそっと合わせた。
「単気筒の衝動|XLR250BAJAと私の物語」

第二十四話:新館の影、作りものの嘴
風が看板の縁を鳴らし、曇りの白が足もとの長靴だけを淡く照らす。AM10:41、トキの森公園。紙のパンフの角が指に当たり、乾いた繊維の匂いが早春の空気に混じる。左足の底に、地面の粒が一つずつ立ち上がる感触。ゆっくり息を吸って、園の奥へ。
まず最初にに目にしたのは、朱鷺の背中に装着するGPS発信機。子供用リュックみたいなそれを見た瞬間「まっと小さくできるやろ」と名古屋弁が喉で転がる。背中につけられた朱鷺の気配を想像して、胸の内で眉をひとつ寄せた。展示の文字は静かだが、金属の角が光を返すたび、こちらが少しだけ居心地を直される。
次に現れたのは、朱鷺の羽を触れるアクリルケース。蓋は開くが、取り出せない構造。そっと、そっと。指の腹に残るのは、ただの羽の手触りで、鶏と変わらないと思ってしまう自分が少し恥ずかしい。けれど、うれしい。昔の佐渡の写真に目をやると、水面が広く、風の止まり木が多かった気がして羨ましくなる。
園はまるで貸し切りみたいに静かだった。外へ出る。係の女性が「こちらから新館へ」と声を置き、私は頷くだけでついていく。ワンツーマンは照れる。彼女の靴音が、緩い下りのコンクリートに一定の間隔で落ちる。長靴の中にたまった温度が、脛の内側で少し汗ばむ。
「トキっ」と思わず声が前に出た。誰もいないのをいいことに、ちょっと大きめに。放し飼いか、と胸が跳ねる。カメラを向けて、笑って、肩が下がった。作り物だ。うまくできているのに、うまくできていないところが妙に好きで、でもやっぱり少し残念だ。
静かに、と書いてある。読み終えた直後だから、隣の工事音が余計にうるさい。低い振動が地面を伝い、長靴の底が小刻みに鳴る。神経質なのは人のほうかもしれない——と言いかけて、やめる。もし彼がこの看板を読めたら、苦笑いするだろうか。ここは研究の庭で、日常の工事もまた生活の音なのだろう。
新館に入ると、光は控えめで、見せるより守るための暗さだった。東山動物園のコアラ館に似た、目の高さの静けさ。網の向こう、遠いはずなのに、近い。羽毛の揺れが一拍遅れて胸に届く。名を呼ばない距離。呼吸だけ合わせて立つと、朱鷺がこちらを一度だけ見る——促された気がして、姿勢を正し目を逸らす。なぜか申し訳なくて目を合わせるのが怖かった。
パンフの折り目をなぞり、地図の端を指で少し折り返す。
続きは次の角の向こう。
係の女性の足音が遠ざかり、工事の音も、ゆっくり遠のいていく。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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